本日は天皇誕生日。徳仁天皇の61歳の御誕生日です。天皇皇后両陛下の益々の御健勝と御多幸、そして日本国の発展を祈念致します。
さて、今上天皇が令和元年5月1日に即位されてから、天皇誕生日は上皇陛下のお誕生日であった12月23日から2月23日に変更されました。令和2年2月23日は日曜日でしたので、祝日なるのは今回が初めてです。
そんな天皇誕生日ですが、なぜ祝日に設定されているのでしょうか。「天皇陛下のお誕生日なのだから当然だろう」というお声もあるでしょうが、今回は、制度の観点から天皇誕生日についてご紹介していきたいと思います。
天皇誕生日は「国家の日」に定められている
天皇誕生日は「その国にとって最も重要な日である」という「国家の日」に定められています。これは世界的な慣例で、多くの国では「国家の日」は祝日になります。日本の「国家の日」は天皇誕生日(2月23日)と建国記念の日(2月11日)の2つです。
「国家の日」が2日あるのは世界的にも珍しく、多くの国では独立記念日や国内が統一された日などが「国家の日」として制定されています。独立記念日は、独立を抑圧する勢力から独立を勝ち取ったという意味合いが強く、世界の大半の国が戦いの上で成立した国であることがわかります。
一方の日本では天皇陛下がお生まれになった日と、初代天皇である神武天皇が即位した日という2つの日が「国家の日」に制定されています。
今上天皇は126代目の天皇陛下ですが、これまで2600年余にわたって日本という国が脈々と受け継がれてきたという事実が、この2つの「国家の日」からも伝わってくるでしょう。
天皇誕生日は「天長節」と呼ばれていた
天皇誕生日の歴史は古く、その起源は中国の皇帝の誕生日を「天長節」として祝っていたものを光仁天皇時代の宝亀6年(775年)に日本に取り入れて祝賀行事を行いました。それ以降は天皇誕生日を「天長節」として祝っており、平安時代から1300年も続く伝統的な行事となりました。なお、「天長節」の起源である中国の「国家の日」は中華人民共和国が成立した(1949年)日にちなんで10月1日に制定されています。
「天長節」という言葉は、平安時代から戦前まで使われています。日本が近代国家として成立した明治元年からは太政官布告によって祝賀行事が行われ、欧米各国と暦を一致させる太陽暦(平たくいうと西暦)を採用した明治6年から「天長節」が国家の祝日として設定されました。
日本の歴史の中で長らく使われてきた「天長節」は昭和23年に「国民の祝日に関する法律」が制定された際に「天皇誕生日」と名を変えましたが、天皇陛下の誕生日をお祝いする「国家の日」であるという性質は全く変わっていません。
天皇誕生日は「国民の祝日に関する法律」で定められている
日本国にとって最も重要な日である天皇誕生日は「国民の祝日に関する法律」によって「国民の祝日」と定められています。国民の祝日は
元日
成人の日
建国記念の日
天皇誕生日
春分の日
昭和の日
憲法記念日
みどりの日
こどもの日
海の日
山の日
敬老の日
秋分の日
スポーツの日
文化の日
勤労感謝の日
と16の日が定められています(2021年2月現在)。
明治天皇の誕生日は「文化の日」として、昭和天皇の誕生日は「みどりの日」として定められており、上皇陛下の御誕生日がどのように扱うかといった議論も一部では進められています。(現在は、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」によって天皇陛下の誕生日と国民の祝日を12月23日から2月23日に変更している)
おわりに
今回は、天皇誕生日の起源や「国家の日」について、天皇誕生日の法的な根拠についてご紹介しました。何気なく過ごしがちな祝日にも歴史があり、特に天皇誕生日は日本国にとって重要な日です。
近年のネットでは女子高生(と思われる投稿者)からの投稿「天皇ハピバ 最近あんま絡みないけど元気にしてる?」という投稿がバズ(ネット上で拡散)りましたが、広く国民に親しまれる存在が日本の象徴であるということは素直に喜びたいと思います。
天皇史観には色々な見解があるでしょうが、この国の2681年にわたる歴史と、私たちを繋いでくれている存在が天皇陛下であると感じています。
この記事を、日本国のことや、天皇陛下のことを考える一つのきっかけにして頂ければ幸いです。
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