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  • keisukeota1005

ある帰宅難民の3月11日

最終更新: 3月15日



発災

上大岡〜目黒 14時46分

2011年3月11日は金曜日。上大岡にあるメーカーでの商談を終えた私は、飯田橋にある会社に戻ろうと、東急目黒線・メトロ南北線の浦和美園行きに乗り込んだ。


春の陽気で晴れわたる東京の景色を見ながら「花見の予定を立てなきゃな」などと呑気なことを考えていると電車は地下へもぐり、目黒駅へ滑り込む。

ここからは電波が通じないから飯田橋までの20分はやることが無い。本も持ってないから一眠りするか。などと思う間に電車は目黒駅を出発した。


電車が動き出して1分もしない間に、電車は急停止。何事かと訝しんでいると「強い地震が発生したため、安全装置が作動しました」という車掌の声。

地震の揺れなのか急ブレーキの揺れかが分からなかったが、電車が停車してもしばらく車内の振れは続いていた。


そのまま15分ほど待たされ、「これは結構な大事か?」と不安が胸をよぎる。地下鉄の急停車は珍しいことではないからと、当初は冷静だった他の乗客もざわつき始めるが、車掌からの案内は入ってこない。


間の悪いことに、会社支給のガラケーも、個人所有のスマホも圏外。駅は近いのに電波は途切れてしまっているから自分で情報を収集できない。

わざわざ車掌室に確認しに行くのも迷惑だしなぁ。と思っていると「都内で震度5の地震が確認されたので、この電車は目黒駅へ戻る」という趣旨のアナウンスがあった。


ツイてない。目黒から飯田橋に戻るなら都営三田線か山手線に乗り換えるしかないか。などと考えている間に電車は目黒駅に戻ったが、なかなか扉が開かない。

アナウンスでは「構内の安全確認をしています」と繰り返すのみで、そこから10分ほど待たされた。


その間に1〜2度の揺れがあったが、電車のサスペンションのおかげて強い揺れは感じなかった。(その代わり、揺れが長時間残るので「船酔いする人には辛いだろうなぁ」)と呑気に考えていた。

しかしアナウンスが突然「駅が崩落する危険がありますので、至急地上に避難してください」という尋常じゃない状況を伝える内容に変わった。ただ事じゃないな。


幸い、乗客が少なかったので大きな混乱はなく、私や周囲の人々は早足で改札を抜け、地上を目指した。

こんな状況でも、まだ私は「そんな地震如きで大袈裟な」と呑気に構えていた。

その認識が改められたのは、地上に上がった瞬間だった。


目黒駅 15時30分

地下鉄・JR目黒駅が「倒壊の危険があるから」という理由で閉鎖されたため、普段なら閑散としている昼間の目黒駅前ロータリーは人でごった返していた。


とにかく、部長に帰社が遅れると連絡しなければと思いガラケーを取り出したが繋がらない。メールを送ろうにも電波は1本で送信できない。ブラウザを閲覧するなどもってのほか。という状況だった。


通信会社の違う私物のスマートフォンを試してみたが、こちらも繋がらず。無闇にかけるとバッテリーの消耗が激しくなると思い、今後はバッテリーの温存を念頭に入れながら動く必要があるな。と考え、バッテリーはセーブするようにした。


まずは上司(部長)への連絡と、会社までの移動手段の確保。この2つが当面の課題になった。目黒駅前は情報を求める人でごった返していたが、「余震も多発しており、当面電車が動くことはない」という情報が得られただけだった。


この時点で電車で戻ることは諦め、バスやタクシーで帰ろうかと考えた。しかし、バス乗り場にもタクシー乗り場にも長蛇の列。そして、電車以上にそれらの交通機関がいつ到着するかも分からない。最悪の場合は歩いて帰らなければな。と思いながら、会社への連絡に意識を移した。


しかし、電話は相変わらず不通で目黒駅前には電話ボックスもない。時間が経つごとに人が増えていったため、ここにいても状況は改善しないと判断。飯田橋方面に歩きながら電話を見つけて連絡しよう。と考えて都道312号線を北上し、飯田橋を目指した。目黒駅から飯田橋まではほぼ10km。何の障害もなければ、2時間ほどの行程だった。


帰社

目黒〜白金高輪 16時15分

目黒駅から飯田橋まで戻るルートには、白金・六本木・永田町とそれぞれエッジの利いたエリアがあった。白金はほぼ人がおらず、歩道を歩くのに苦労しなかった。相変わらず電話は通じなかったが、そのうちに公衆電話が見つかり、ようやく部長と連絡がついた。


「太田です」


『おう。どこにいる?大丈夫か?』


「大丈夫です。目黒にいます」


『一番連絡がつくのが遅かったから心配したぞ』


「すみませんでした。…そんなにひどい地震だったんですか?」


『ああ。ウチの部署はこれで全員連絡が取れたが、それより東北がヤバくて東北支社と連絡が取れないそうだ』


「そんなに大変なんですね…」


『こんな状況だ。今日はもう帰って良いぞ』


「いえ、とりあえず会社に戻りますね」


『わかった。気をつけろよ』


部長は明るい性格で、部下や周囲の社員から好かれている人物だった。何くれとなく私を気にかけ、適切に指導してくれていたことから私も尊敬し、慕っている人だったので、心配を掛けたのが申し訳なくなった。


しかし、これで一つ目の課題が解決したので、あとは会社に戻るだけだ。そう思い、人通りのまばらな白金を後にした。


白金高輪〜六本木 17時00分

最初は順調だった徒歩の移動も、麻布十番のあたりから歩行者が増えていった。中には大手企業のロゴのついたヘルメットの歩行者もおり、「ヘルメットは企業支給かなぁ。大企業はやっぱり凄いなぁ」と思いながら彼らと共に六本木方面へと歩いていった。


六本木を過ぎるあたりで時刻は17時。ちょうど仕事を終えた人たちがオフィスビルから続々と出てきた。相変わらず電波は通じないため情報は大して持っていないものの、大事らしいことは理解できるようになっていった。

それでも多くの人は仕事をしているんだな。と感じた。道中の地下鉄の駅は閉鎖されており、公衆電話には多くの人が並んでいる。今は気にしても仕方ないと思い、飯田橋方面へ進んでいった。


六本木〜飯田橋 18時30分 

六本木あたりから歩道を歩く人が多くなり、これまでのようなペースで進めなくなった。反対方向に歩く人も増えたためすれ違いも多くなり、中には自転車を押して歩く人もいた。バスは相変わらず走っておらず、時折見かけるタクシーには必ず人が乗っていた。バス停もタクシー乗り場も列が増えるばかりだったので、大通りを避けて歩くことにした。


裏通りにも多くの人がいたものの、これまでのように歩くのに苦労はしなくなった。六本木を抜け、永田町を過ぎる頃にはもう夕暮れ。相変わらず電波は悪く、電話は繋がらない。会社への連絡は済んでいるから、情報収集は会社に戻ってからすれば良いと考え、歩みを早めた。


この辺りで目黒からおよそ8km。ビジネスシューズは実用性より見た目で選んでいるので、クッション性が期待できないため、足がだんだん痛くなってくる。休もうにも裏通りに入ったのでコンビニやカフェも見つけられない。なんとかあと数キロ。という気持ちで最後は歩き切った。会社に戻ったのは、日も暮れた18時半ごろだった。


帰宅?会社泊?

本社オフィス 19時

地震発生から約4時間。ようやく飯田橋にある会社に戻り、待っていた上司に帰社の報告をした。珍しく点けられていたテレビに目を向けると、千葉県のコンビナートで火災が発生している様子が中継されている。


都心では建物に大きな被害はないようで、会社の建物も無事だった。ただし、震度5ほどあったので書類が散乱する。固定していない備品が倒れる。といった軽微な被害はあったようだ。自分のデスクの散乱を除けば、目に見える大きな被害は無いようだった。


会社の固定電話は通じているようで、有線LANのインターネットはいつもの通りに使用できる。そこで様々なニュースサイトを閲覧することで初めて東北の惨状を知った。

「M9」「10m以上の津波」「壊滅的被害」など、俄に現実とは思えない文字が並んでおり、しばし呆然としたものの、それも長く続かなかった。


私の部署は10名ほどのメンバーで構成されているが、地震発生直後に帰宅許可が出ていたため、早めに帰った人も多かった。10名ほどいる同期はみな無事で、会社から比較的近くに住んでいたため既に帰っているようだった。


そう。私は「これからどうすべきか」を判断しなければならないのである。


逡巡 19時30分

私が住んでいる賃貸マンションは千葉県市川市にある。ちょうど、江戸川を挟んで東京の隣町だ。

他の同期が実家または会社の近くに住んでいる中で、私だけが遠方に住んでいる。その理由は車を持っていたからで、敷地内に駐車場があり、ある程度安い金額の物件は都内には無かった。


そこで新入社員の頃は会社から1時間半かかる千葉県鎌ヶ谷市に住んでいたが、流石に遠過ぎるということで、つい1ヶ月前に引っ越してきたばかりだった。


ある程度近くなったとはいえ、会社から自宅までは約20km。既にビジネスシューズで10kmを歩いてきた身には厳しい距離である。

しかし会社に泊まるにしても、食料が全くない。帰社の直前にコンビニに寄ってみたものの、既に食料は消えており残っている食料品はお酒のみだった。


私は25歳と若く、健康なので数日食べないくらいは平気だろう。とたかを括っていたが、自宅の様子が分からない点が気がかりだ。

先述の通り、引っ越したばかりで周囲の人間関係は皆無。まさか被害は無いだろうと思っていはいるものの、無事を確認できない不安感はだんだん大きくなってくる。とはいえ、20kmを歩くのは難しい。そんな逡巡が続いた。


決意 20時00分

私の心は会社に留まるか、一晩かけてでも歩くかで揺れていた。既にJR東日本は首都圏の鉄道の運休を発表しており、東京メトロもいつ再開するか分からず、特に私が通勤で使用している東西線はJRや東葉高速線に乗り入れているため、今日中の再開が可能かは全く予想ができない。


政府が「帰宅せずに会社など安全な場所で待機していて欲しい」と呼びかけているのも知っていたが、当時の政権に反感を持っていた身には逆効果でしかない。


とはいえ、いつまでも悩んでいるわけにもいかないので、22時までに状況が好転しなければ、それ以降に動き出すのはリスクが大きいので社内に泊まろう。と決めた。


自宅への帰路

大江戸線再開の報道 20時20分

様々なニュースサイトや交通情報を確認していると「20時40分から大江戸線と銀座線が再開見込み」という情報が目に入った。理由を確認してみると、大江戸線は元々、災害時の輸送ルートを担うために建設されているため、他の路線に比べると地下深くに作られていること。だからこそ災害時の復旧が他の路線に比べて早いことを知る。これは私にとっては大きな光だ。


大江戸線は私のいる飯田橋にも駅があり、両国あたりまで乗れたら5kmは稼ぐことができる。しかし、再開からあまりに時間が経つと情報を知った人たちでごった返すだろう。もし動くなら今しかない。

もちろん、スケジュールに遅延も考えられるし余震の可能性もある。それでも、このまま会社で夜を明かすよりも行動を起こした方が良いのではないか?自分の中でそんな思いが湧き起こってきた。そんな時に決定的な情報が入る。


都営新宿線再開 20時30分

「22時を目処に都営新宿線が再開見込み」この情報が入った瞬間、私は帰宅を決意した。都営新宿線は森下駅で大江戸線と繋がっており、終点の本八幡駅は市川市にある。

うまく本八幡駅まで行ければ、家までは僅かに3kmしかない。こんなチャンスがあるのであれば、乗ってみるのも悪くないな。そう思うと帰宅を決心した。


部長に相談すると「何かあってもお前なら大丈夫だろう。でも気をつけて帰れよ」と快諾された。基本的に仕事を任せてくれつつ、気遣いは忘れない。そんな部長の人柄が表れる一言だ。

部長のことは心配ない。反対方向だけどこの人も大江戸線沿線だから、きっと帰れるだろう。


スマホもガラケーもバッテリーは100%。電波も電話も相変わらず繋がらないが、「家に帰る」という日常なら当たり前の行為に対して不思議とモチベーションが上がった。

腹は減っているし、足は筋肉痛の症状が早くも出ているが、「家に帰るぞ」と気合を入れて会社を後にした。


飯田橋駅 20時40分

大江戸線の飯田橋駅は会社から徒歩で5分ほど。あっという間に駅に到着した。地下まで続く長いエスカレーターは、営業時には「遠いなぁ」と感じていたが、その理由を知った今は頼もしさしかなかった。


ホームに着くと、朝の通勤ラッシュ並には人がいた。しかし、テレビで見た新宿駅や渋谷駅の光景に比べれば「空いている」と表現しても全く問題はない。時間通りに電車が来るかどうかは不安だったが、果たして時間通りに大江戸線は再開した。

今まで、「(メトロと比べて)料金が高い」「本数が少ない」「ホームまで遠い」と文句を言ってごめんなさい。もう言いません。という気持ちで電車に乗り込んだ。


車内は満員だったが、乗れないことはないレベルだ。「混雑率日本一(当時)の東西線に毎日乗ってるサラリーマンを舐めるなよ」と謎の敵愾心を抱きつつ車内に乗り込む。

「満員電車では鞄を足で挟み、両手でつり革を掴むのがポイントだ」と謎の講釈を心の中で垂れている間に電車は進んでいく。

さすがに上野駅あたりからは人が乗れなくなったが、大きな遅延もなく電車は進んでいく。どうやら再開の第1便に乗れたようで、前がつっかえていないのだろう。


飯田橋から乗換駅の森下駅までは15分程度。森下では同じような考えを持つ人が多いのか、大半の人が降車していく。今後は本八幡行きの電車に乗れるのか?という心配が頭をよぎるが、ここまできたら流れに身を任せるしかない。ええい、儘よ。


森下駅 21時10分

会社を出る前には22時ごろに都営新宿線が再開との情報があったので、森下駅に到着の時点ではまだ時間が余っていた。都営新宿線のホームに入ることができたが、ここは流石に身動きが取れないレベルだ。

ここで文句を言っても仕方がない。他の人たちも静かに待っている。

地震が発生してからこれまで、幸いなことに駅員や乗客同士のトラブルには遭遇しなかった。こんな時だからこそ、お互いにトラブルなく帰ろうと思っている人が多いのだろう。

そう思うと、近くにいる人たちが仲間にできた。みんな、無事に帰れると良いな。


身動きも取れず電波も相変わらず悪いので、音楽を聴いて過ごした。音楽はいいね。リリンの生み出した文化の極みだよ。

いつもは電車を待つ時間が好きではないが、今日は違う。もう少し辛抱すれば、我が家に帰れるんだ。そう思ってただ電車を待った。


森下駅 21時50分

予定の時間より早く、電車はやってきた。既に多くの人が乗っているため、全ての人が最初の電車に乗ることはできない。


しかし、確実に人は乗っていく。あと1〜2本で自分も乗れるだろう。ここで慌てる必要はないので、順番に電車に乗ればいい。


そう思っていると、程なくして次の電車が来た。その電車にも乗れなかったが、さらに次の電車に乗ることができた。


本八幡駅 23時00分

森下から乗り込んだ電車は、本八幡に着くまでに何度か止まったが、40分ほどで到着した。ここまで来たらあと一歩だ。

飯田橋から歩くことを考えると、今の状況は幸運以外のなにものでもない。


同じように家路に向かう大勢の同士達と共に、最後の道のりを歩く。


各地で大変なことが起こっている。阪神大震災の時よりも大きな災害が日本を襲っている。頭では分かっているが、気持ちは「家まで後一歩」という達成感の方が大きい。


一歩一歩を踏みしめるように歩き、自宅に到着できた。まだ1ヶ月ほどしか住んでいないが、それでも愛しの我が家だ。


自宅 23時30分

とうとう家に到着した。色々なことがあったが、無事に帰って来れた。

部屋は雑誌が散乱し、電気は点くもののガスと水道が使えない。これだけの規模の地震だったから、数日は復旧しないかもしれない。ガスはともかく、トイレは今のタンクの分しか使えないな。節約して使おう。


そういえば、食料が何もない。食料の備蓄は全くしていないのはこう言う時に困るのか。ダイエットだと思って数日の我慢を覚悟するしかない。


それにしても、とにかく疲れた。

私が帰ることができたのは、色々な幸運があったからだろう。特に、都営線の方々の活躍がなければ、私はここにいることができなかった。


東北の情報も、明日になれば色々と分かるだろう。今はとにかく疲れた。少し休みたい。

そう思い、激動ともいえる今日1日を終えるためにベッドに入った。





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